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| 拝殿(2014/02/01) |
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| <天川御嶽>(説明碑) 天川とは、この地一帯の称で、古くは天川原と呼ばれていた。また御嶽とは、村人の健康や村の繁栄などを祈願する聖地である。 天川御嶽の歴史は古く、『八重山島由来記』(1705年頃)にも記されている。登野城村の伝承では,新城家(アーマーヤー)の祖先で霊験高く篤農家でもあった野佐真が天川原の霊石を信仰していたことから毎年豊作・豊漁に恵まれ、そのために村人たちもその霊石を尊信するようになり、豊年・豊漁の神として信仰するようになった、といわれている。 首里王府時代には、沖縄本島への貢納船に乗り込む役人の航海安全を祈願する七嶽(美崎・宮鳥・長崎・天川・糸数・名蔵・崎枝)の一つとされていた。現在でも祈々の祈願のほか、旧暦6月には豊作への感謝と来る年の豊穣を祈る豊年祭が古式豊かに執り行われている。 |
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