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| <由緒>(平成祭) 社伝によると、延喜18年(918)八幡大神が亀命山山上に現れ、時の国司が山上に祠を建てて祭ったと言われる。また、石清水八幡宮の分霊を祭ったともいう。貞治年間(1362~1363)細川右馬頭頼之が戦勝を祈願して霊験をこうむり、社殿を拡築し武具を奉納し、毎年4月3日に祭礼を行った。これを右馬頭市という。生駒親正が讃岐に封ぜられると、高松城を築き、当社を城の鎮守と定め、社殿を改築し、高松の産土神とした。松平頼重も当社を崇敬し寛永21年(1644)には社殿を造営して現在地に移し、社領202石余を寄進、石灯籠、36歌仙の扁額等を奉納した。その後、宝永2年(1705)三代藩主頼豊が改修、以来歴代藩主は毎年社参を通例とした。 |
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