| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| <由緒>(平成祭) 建速素戔嗚尊、狛狗大神 祭日 1月1日歳旦祭、4月20・21日例祭、7月14・15日夏祭、毎月1・15日月並祭 末社 疫神社、八幡社 当社の創建は、元禄7年の文書に、社地は古来より除地である旨記されているので、同年より古い事は察せられるが、確かな年代は不明である。正徳元年再建といわれ、その石祠は現存する。江戸時代は、牛頭天王社と称し、天台宗正覚寺が別当であったが、明治の神仏分離の際、同寺は廃され、以後八枝神社として崇敬をあつめてきた。いつの頃か、京都の八坂神社を勧請したものと思われる。境内樹のうち2本の欅は共に目通り5メ-トル以上で、樹令は300年を超えるものと推定される。本社に奉安する獅子頭は、「平方のお獅子様」といって神秘な伝説があり、左甚五郎の作とも伝えられるが、その確証はない。狛狗大神と崇められ、各地に迎えられてその地の産土神と共に、ふせぎとか、春祈祷とか呼ばれる祭事が悪疫退散、家内安全、厄除招福の祈誓をこめて賑々しく行われる。このような祭事は、江戸時代文化年間にはすでに行われたようで、当時奉納された幟旗も存する。明治20年代には、足立郡内を始め、比企、入間、南埼玉の県内各郡、現東京都の西北部、旧多摩地方に広まり、村々を単位として講が結成された。「平心講」と称し講員数三万余に及んだという。現在、狛狗大神を迎えて奉祭する地域も多いが、それに代って、代参人を立てて神札を受け、地域で集って講をする地もある。毎年4月20・21日の両日は、本社の例祭で「太々」といい各地の講社から、参詣があり、神前で祈祷を受け、社務所で直会として御神酒、御饌を供せられる。尚、当神社の夏の大祭は、7月14・15日行われる。この祭には、他に例のない「どろいんきょ」の行事がある。
|
|