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| 本殿(2013/09/27) |
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| <三徳稲荷神社の縁起>(由緒板) 三徳稲荷神社の名前が初めて現れたのが宝暦六年(一七五六年)浜竹村に建立されると記されております。 (糀谷史の記述)実際、三徳稲荷神社にも伏見稲荷大社よりの書き付けがあり。その文面の年号記載には 宝暦八年(一七五八年)二月七日武州六郷村浜田(浜竹)新井(荒井)五郎佐衛門宛に従五位上 摂津守荷田宿禰春郷と記載。 そのことにより神社は宝暦六年(一七五六年)に建立されたことを物語っております。 その後、明治から大正と至り、先の関東大震災(大正十二年)で神社は消滅。大正十三年に三徳稲荷神社を再建。 その後、先の大戦で再び、神社も神輿もすべて焼失しました。 戦後はアメリカ軍の占領により、神社は跡形もなく、また神社の土地はアメリカ軍に接収され、返還後に小さな 神社を再建しましたが物資のない時代だったため痛みが激しくなり、昭和四十年に現在の神社が氏子達の協力により 建立され現在に至っております。 〔平成二十三年八月吉日〕
<三徳稲荷神社の「名前」の由来>(由緒板) 三徳とは「三つの徳を授ける」という意味であり、その実は(七福神)の福禄壽が起源とされております。 中国、宋の時代(六〇頃~一二七九年頃)に現れた実在の導士。天南西(年齢は数千歳であったと言う)の化身や南極星の化身(南極老人)とされております。 又、泰山府君(たいさんふくん)であるとも言われる。泰山府信仰が伝わり、福禄壽が長寿の神として信仰された。 「福」幸運 になりますように 「禄」封禄 が授るように 「壽」長生 き出来ますように と言う願いを叶えてくれると言う「三つの徳」であります。 〔平成二十三年八月吉日〕 |
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