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| 拝殿(2013/05/12) |
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| 奥平貞能(おくだいらさだよし) 奥平信昌(おくだいらのぶまさ) 奥平家昌(おくだいらいえまさ)
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| <武運と戦勝 奥平神社御由来>(由緒板) ご神体は、奥平家中輿の祖奥平貞能づ信昌づ家昌公三柱の御祭神をお祀り申し上げております。 のちに宇都宮城(栃木)を経て宮津城(京都)から入城した七代目奥平昌成公は中津城入城の翌年享保三年正月(一七一八年)、城内二の丸にあった観音院を祈祷所と改称し、十一代目昌高公が天明七年(一七八八年)、祈願所を長福寺と改名いたしました。現在の中津裁判所がその旧敷地であります。 ご祭神の貞能・信昌・家昌公三公は永禄三年(一五六一年)より元亀・天正・文禄を経て慶長十九年(一六一九年)に至る五八年間、幾多の戦功をたてられて徳川氏に忠節を尽くしてきました。 特に奥平家二代目の信昌公は関が原の合戦後、初代京都所司代として綱紀を振るい凶賊から庶民を護りました。後世武士(もののふ)の鑑(かがみ)いとして徳川三百年の礎(いしずえ)を築き、人々から義勇と武功を称えられました。
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