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| 拝殿(2013/05/12) |
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| <城井神社>(由緒板) 城井谷城主宇都宮家は信房公より鎮房公に至る十六代およそ四百年間の間豊前国守として徳政を布いた。 天正十五年(一五八七年)五月豊臣秀吉は九州平定にあたり豊前六郡を黒田孝高に、二郡を毛利勝信に与え、鎮房には四国今治(十二万石)移封の御証判を与えた。 鎮房は累代の墳墓の地の安堵を願い、このご朱印状を返上したため、宇都宮一族は黒田孝高、長政と豊前の地で死闘を繰り返すこととなり、黒岩山峯合戦(峯合戦)で長政を敗退させた。 そこで秀吉は孝高と謀り所領安堵の条件として長政と鎮房の息女千代姫(鶴姫)との婚を約し和睦した。 天正十七年(一五八九年)四月二十日鎮房は中津城に招かれ酒宴の席で謀殺された。 天正十九年長政は深く感ずる処があって城内守護紀府(城井)大明神として鎮房を祀り、福岡移封後はその地に警固大明神として祀った。 宝永二年(一七〇五年)小笠原長円は小社を建て城井大権現として崇め、その後幾度かの変遷の後城井神社と改められた。 〔中津市/中津の郷土史を語る会〕 |
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