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| 大乗院稲荷神社[篠山町](だいじょういんいなりじんじゃ[ささやままち]) |
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| 本殿(2012/03/21) |
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| <大乗院稲荷神社の由来>(案内板) 徳川家康公が江戸に幕府を開いてから19年の後(1622年)、有馬豊氏公が丹波の国福知山より、久留米の地に入られたとき、大乗院稲荷神社も丹波の国からお遷しされた。 場所は、現在のブリヂストン久留米工場敷地内(篠山城址南町)であった。 正和4年(1647年)、有馬藩2代(忠頼)の時代に、旧篠山城内二の丸で祀られていた「日吉神社」が、現在の日吉町にお遷しされた。 その時、「大乗院稲荷神社」も一緒にお遷しされたが、寛保2年(1742年)旧篠山城内二の丸の御殿内(現在のブリヂストン久留米工場敷地内)の南町にご再興された。 このご再興は、改築されたものか日吉神社からご分霊されたものか定かではない。 昭和の時代に入ると稲荷神社は、篠山神社の境内にご分霊され大乗院稲荷神社は次の3柱となった。 1社はブリヂストン久留米工場内 、1社は日吉町の日吉神社の境内、1社は篠山神社の境内 この内の、ブリヂストン久留米工場内に建立されていた大乗院稲荷神社は、ブリヂストンの会社設立以来、ブリヂストン久留米工場の歴代工場長の手により、初午祭月次祭などを執り行ってきたものである。 この由緒あるブリヂストン久留米工場内の「大乗院稲荷神社」を平成13年(2001年)に「地域の方々とともにお祀りしてゆくことが、地域のためにもなる」との考えから、現在のこの場所(けやき通り、久留米城への道交差点近く)にお遷され、地域の方々とともに大切にお祀りされているものである。 〔平成13年 株式会社ブリヂストン久留米工場〕
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