鶴峯八幡宮[中高根]

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タイプ
神社
名前
鶴峯八幡宮[中高根](つるみねはちまんぐう[なかたかね])
所在地(住所)
千葉県市原市中高根1223
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主祭神
誉田別命(ほんだわけのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
巌比賣命(いわひめのみこと)
旧社格
村社
御由緒
御縁起
御神徳
歴史等
<由緒>(パンフレット)
元正天皇の養老二(七一八)年(一説では清和天皇の貞観二年)に、八幡浦が大風涛に見舞われ収まらず、漁師が困窮した。この時、国司の夢枕噌に「八幡様にお祈りしなさい」とお告げがあった。国司が神助を祈願したところ、風涛が収まつ丸漁師たちは神社を創建レ八膜を勧請『ご神徳を奉謝した。
その後、源頼朝が安房から北上してこの地を通った際、武運長久を祈願して、短刀を奉納し一たとも伝えられる。
さらに、室町時代に房総に進攻した武田氏の二禁真里谷氏と名乗って佐貫城に入った。その際当宮を城下西方の守護神として尊崇した。永正四(一五一七)年十一月二十八日の棟札(市文化財指定)煩その証左として残されている。この時の当主は武田式部太夫源朝臣信綱。
真里谷氏に代わっズ魅貫識主となった里見氏は、社領三千石を寄進し、特に里見義弘は太刀一振りを奉納し、祈願の誠を尽くした。
江戸時代に入っても、佐貫城主・内藤家長が三十石を寄進。次いで寛永十六(一六三九)年、松平勝隆および重治も二十石を寄進した。宝永七(一七一〇)年、佐貫に入府した阿部氏も同石高を寄進し、特に阿部因幡守は二十石と山林七町七反七畝を寄進した。
明治二十七(一八九五)年には御社殿が修造され、昭和四(一九二九)年の改修工事では御本殿の屋根を銅板葺きとした。同時に幣殿、拝殿を新築した。平成二(一九九〇)年七月一日には、神社本庁神社振興対策指定神社となる。これを受けて、透塀を新築し、境内参道の敷石工事を完了。同七(一九九五)年に社務所前の石造鳥居を粟島社に移築して、銅製の大鳥居を奉製した。同十四(二〇〇二)年、御神輿殿を新築。同十八(二〇〇六)年、三基目の御神輿が完成した。
拝殿方向
南西

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