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| 地下鉄ブルーライン「三ッ沢下町」駅→徒歩(13分) |
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| 本堂(2012/11/18) |
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| <豊顕寺>(案内板) 当寺は、法照山と号す法華宗陣門流総本山本成寺末の寺院です。三河国多米村(現愛知県豊橋市多米町)の郷士多米元興は、先祖菩提のため、永正12年(1515)多米村に本顕寺を建立しました。元興の父現益は、伊勢七騎の一人でした。(伊勢はのちに北条氏と称す)元興は天文年間(1532~1555)北条氏が関八州を領有した頃、青木の地に城塞を構えていましたが、のちに連信斉と名乗り三ツ沢のこの地に隠棲して本顕寺を移し、豊顕寺と改称しました。元興の歿後、その子長宗は青木城を領し、元興の隠棲の地を当寺に寄進し、堂宇を造営したので、地方には希な巨刹となりました。享保5年(1720)本宗の壇林として学舎5棟、学寮25棟を建設し、開講式を挙行しました。学徒は300人を下らぬ盛況を極めたといいます。その後も再建・増築をし、宏大な規模になりましたが、明治期になり火災による焼失、大正期の地震による倒壊によって壇林は廃絶いたしました。境内には、鷲津(静岡県)の本興寺から根分けした藤を記念しての碑が藤棚の下にあり、また、江戸から保土ヶ谷宿に来宿し、宿内の人々に歌学を教授した山平伴鹿の歌碑があります。多米家歴代の墓は、境内左側にあります。 〔横浜市教育委員会文化財課 財団法人 横浜国際観光協会 平成5年3月〕 |
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