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| 石碑(2012/07/08) |
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| <黒崎城>(北九州市教育委員会) 城山またの名を道伯山というこの山に、かつて福岡城の端城の一つ黒崎城があった。 慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦いの功により五十二万石の大名として筑前国に入部した黒田長政は翌六年から福岡城の築造にとりかかった。また同時に国境の守りを固めるため同十五年までの間に、この黒崎城をはじめ若松城(中島城)、大隈城、鷹取城、小石原城、左右良城の六端城を築いた。そして黒崎城には黒田二十四騎の一人、井上周防之房を城主として任じた。 しかし元和元年(一六一五)幕府の一国一城令により、わずか十数年で城は破却されてしまった。 のち元文三年(一七三八)この城の石垣は新田間作(現在の黒崎駅付近)のための護岸に使用された。今では山頂に石垣がわずかに残るのみである。 なお、この山に初めてとりでを築いたのは、天慶二年(九三九)、ときの朝廷にそむいて瀬戸内海に兵を起こし敗れた藤原純友との伝承もあるが定かではない。 |
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