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| JR牟岐線「阿南駅」→徒歩(1時間5分) JR牟岐線「羽ノ浦駅」→徒歩(1時間6分) 徳島南部道「徳島津田IC」→車(25分) |
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| <式内社
八桙神社
>(説明板) 式内社の八桙神社に祀られる神様は大己貴神であり、古くより阿波民族の源の一翼を形成した長ノ国造の祖先神として尊崇されてきた神様です。
大己貴神の別名、大己貴神は長国偉大な主を意味しています。
大国主神は、須之男命の子孫で、稲羽の素兎の物語で有名です。
兄さん達から、大きな袋を持たされる等、色々のいじめを受けましたが、それらの試練を乗り越え、出雲国を治める立派な人となりました。
大国主神の子供に事代主神と建御名方神がいます。
事代主神は、式内社の事代主神社として当地方に山を越えた勝浦門沼江と阿波市市場町伊月に祀られ、建御名方神は、式内社の多那御奈刀弥神社として石井町浦庄芝敷訪に祀られています。
平安時代に記録される三千三百三十二座の式内社の中に、これら八桙神社や多那御奈刀弥神社等の神社は、阿波にしかありません。 〔
阿波古事記研究会〕
<八桙神社由緒案内>(説明板)
八桙神社は上古長久国造の祖神として竹原庄粟津に鎮座す
長ノ国は北方粟ノ国と相対して阿波民族の源を形成す。
承平四年朱雀天皇の御宇歌聖紀貫之土佐守の任満ちて上洛の途に
途上南海水道にさしかかりし時、暴浪なる海に出逢い
航行不能となる直ちに那賀川河口に碇泊粟なる竹原庄の要津に松濡栢城高く聳へ立ち威光海上を圧する八鉾大明神社に祈願奉幣す
。忽ち「霊験早印下之泥」海上無巻上安せりとあり。
長寛元年九月二十五日関白左大臣左権大臣藤原兼実卿
後白河上皇の勅命を承け法華八講料として免租
水田五段を絹銭金完法華経一部八巻合せて種十二巻を
奉納しその善根を祈り後白河上皇三条術の宝祚を長命海上安全を祈願す。
〔昭和四十三年歳十二月八桙神社文化財保存会〕
<由緒>(平成祭) 八桙神社は上古長ノ国造の祖先神として竹原庄要津に鎮座す。長ノ国は北方粟ノ国と相対して阿波民族の源を形成す。承平4年朱雀天皇の御宇歌聖紀貫之土佐守の任満ちて上洛の途上南海水道にさしかかりし時豪勢なる海賊に逢い航行不能となる直ちに那賀川河口に碇泊西潟なる竹原庄の要津に松JU栢城高く聳へ立ち威光海上を圧する八桙大明神に祈願奉幣す。忽ち「霊験早印下之泥」海上無恙上洛せりとあり。長寛元年9月25日関白左大臣左大将正二位藤原基実卿後白河上皇の勅命を承け法華八講料として免租水田5段と紺紙金泥法華経1部8巻合せて5種12巻を奉納しこの善根に依り後白河上皇二条帝の宝祚を寿命長遠に併せて二品家1門の神徳冥助を乞い並びに南海水道の海上安全を祈願す。文化財 祭神・大己貴命(木造彫刻立像・壱躯)。少名彦命(木造彫刻立像・壱躯) 二品家政所下文附紺紙金泥法華経一部八巻 古文書明治43年右神像明治44年国宝指定、昭和25年国宝重要文化財に指定同30年県重要文化財男神木像彫刻九躯その他木桙神像古銭等宝物多数あり。昭和42年丁未11月八桙神社文化財保存会(注)文中のJUは、「土」偏に「需」です。
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