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| 山陰自動車道「瑞穂宝木IC」→車(5分) JR山陰本線「浜村駅」→徒歩(47分) |
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| <加知弥神社(県指定保護文化財)>(説明版)
加知弥神社は大字寺内、通称飯田の森と呼ばれるところにある。祭神は彦火々出見命、鵜草葺不合命、玉依姫命。創立年代は不詳だが、延喜式神名帳にのっている古社で、昔は勝宿大明神と呼ばれていた。
中世以降武将の崇敬が厚く、永禄八年(1565)には、武田高信、田公高清、矢田幸佐などが社殿を造営。また、大正八年(1919)には吉川元春が戦勝を祈念して社領を寄進している。この祈祷の元春の祈願状と寄進状は県の保護文化財に指定されている。
〔鹿野町教育委員会]
<由緒>(平成祭) 加知弥神社は気高郡鹿野町寺内飯田の森にある。祭神はひこほほでみのみことと、うがやふきあえずのみこと、たまよりひめのみことで創立年月はつまびらでないが、延喜式神名帳にのっている式内の古社でむかし勝宿(かししゅく)大明神といい、旧社地は宮谷あるいは明神ガ鼻であったという。中世以降武将の崇敬があつく、永録8年(1565)には武田高信、田公高清、矢田幸佐等が社殿を造営し、天正8年(1580)には吉川元春は戦勝を祈願して社領を寄進した。なお元春の祈願状、寄進状2巻が昭和32年12月県の保護文化財に指定されている。社伝によると天正年中豊臣秀吉は防己尾(つづらお)城落城のとき社領を寄進したとのことである。また元和9年(1623)には池田光政が社殿を修理し、寛永10年(1633)国主池田光仲はあらためて社領39石6斗9升3合を寄進したが、そのご累代の藩主も崇敬あつく社殿の営繕あるごとに金殻木材を寄進し幣帛(へいはく)を奉納した。明治4年には県社になり同40年3月、神饌幣帛共進神社(しんせんへいはくきょうしんじんじゃ)に指定された。大正2年11月には、当社の摂社(せっしゃ)および付近の神社14社を境内に合祀(ごうし)して1社をたて、あらたに勝宿神社ととなえた。例祭日は10月21日である。寺内部落の薬師堂付近には、塔礎とみられる礎石がある。遺瓦は奈良後期のもので、むかし勝宿大明神の別当寺の旧跡だといわれている。
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