八幡古表神社

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タイプ
神社
名前
八幡古表神社(はちまんこひょうじんじゃ)
所在地(住所)
福岡県築上郡吉富町小犬丸353-1
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公式サイト
http://kohyoujinjya.jimdo.com/
主祭神
息長帯姫尊(おきながたらしひめのみこと)
虚空津比売命(そらつひめのみこと)
近代社格
県社
御由緒
御縁起
御神徳
歴史等
<由緒>(平成祭)
鎮座の時期 欽明天皇の御宇6年(皇紀1205年・西暦545)9月21日。鎮座の縁起 中津川(山国川)の辺に玉手翁という者が住んでいた。神にも等しい美しい心を持った人格者であったが、欽明天皇の6年9月21日、吹出の高浜を散歩していた。すると、西の方より美しい白雲が飛来し、名月の如く光り輝く女神様が乗っておられた。翁はすぐに神様であることを察し、畏れ拝んだ。すると次のような神託があった。「吾は息長帯姫なり。むかし、三韓征伐のおり軍卒集まり難しにより諸国を歴視し、此の処に来りて海辺の石(後、皇后石と呼ぶようになった)の上にて神々を祭る。よりて、軍卒多く集まり船をも調達、険浪を渡り三韓を伐つ。しかるに後世これを知る者なし。今よりこの良き地に住みて永遠に国家国民を守護せんとす。汝この処に社を建て吾を祭れ。」翁は平伏して再拝、早速社殿を造営すべき土地をさがしたが、自分の支配するこの地が神様の選ばれた所だけあって、人々も心豊かで海陸の幸にも富んでいることに大そう喜んで吹出の高浜の最も荘厳な処を選び、社殿を建て、息長大神宮と称してお祭りした。細男舞・神相撲の縁起 元正天皇の養老3年(皇紀1379年、西暦719)大隅・日向の隼人族が皇命に従わず7城を築いて反乱を起こした。その時、官軍・宇佐の神軍とともに息長大神宮も神人・社家・村里次官を引き連れて行き7城を囲んだ。神力により5城は落とすことはできたが、2城はどうしても伐つことができない。豊前の国司は息長大神宮に祈らせ神告を得た。神告のとおり美女・美童の形を表す御神像を造り、戦場において伎楽を奏し、賊軍の心をとらかし、疲れていた官軍の士気を奮い起こし、ついに2城の敵を誅つことができた。聖武天皇の天平16年(皇紀1404年、西暦744)隼人の霊を慰めるため宇佐神宮が中心となって豊の国の大放生会を執行した。国司が息長大神宮の神官に言うには「隼人降伏のとき、戦場に伎楽を奏す。今また古を表す木像を彫りて…」。息長大神宮は御神像を広津崎より船に乗せ和間の海上に到り放生会に参加、細男の伎楽を奏した。すこぶる古の形を表すものであった故、その後、古表大明神と称し別宮を建てて奉祀した。以来、宇佐放生会の際には出御して参加していたが、時代が下って八幡古表神社でも独自で行うようになり、今日に至っている。

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