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| <由緒>(平成祭) 当社は古は、島名神社(式内)とも称し、鎌倉時代より幼児虫除の神徳顕著故を以ってしられている。今より1300年前の人皇四十代天武天皇白鳳2年豊受姫伊勢国より渡御し給う。中島浜表に白羽の箭降り立ち光を放つ、諸人恐れて近付くものなし。翌日海上光り渡り波浪競い来たり、御船と共に飛上り箭と一所に納り給う。「万民奇異の憩を為すところ神託あらたかなり、我は是豊受の神なり、永く鎮座の処は重ねてことを示すべし。」と。宣給い3日を経て、農具の鎌と前と共に当郷の源に納り給う。依て此の地を鎌田の里と云ふて、今も御鎌田と称する田が有り、崇敬者は祈願の御札とし御鎌を奉献する。往古御厨十七郷一円神領地となしたが応永年間の乱に押領され次で永禄・天正の兵火に神殿古証文等悉く焼け失せたのである。徳川家康公の駿府在城の折高100石の御朱印を賜りまた武具鏡をも下賜されたが今は当社の宝物となっている。しかして明治に及ぶ。明治12年7月県社に列格す。尚当社は式年御遷宮は20年毎に、大遷宮は60年毎に造営を営まれてきたもので社有地5517坪なり
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