| |
| 胸形神社[村井町](むなかたじんじゃ[むらいまち]) |
|
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| <駒形神社略記>(説明板) 創立年代未詳なれども、社伝によれば往古早魃続き五穀の苗も枯れ若男女悲嘆せり。此の時農民は天地の神祇に雨を乞うと共に五穀の 種子を書力せじと六ヶ所の溜まりの水を諸作のもとに灌ぎしが、この溜まり水汲めども汲めども盡す湧き出でたり。是天地の大神の恵 み拾いし無盡水此の御神徳を仰がんとして六つの祠を建立したのが当社の起源なり。 此の水は常に汲むことを堅く禁じ崇敬し、後世までもこの由来を忘れぬ ために此の土地を六ヶ井の郷と名づけたり。中古以来村の名は六ヶ井が 村井と改まる。足利未来の頃宇都宮氏と鹿沼氏との戦いに当地は戦場と なりし事あり。その時神殿寺院民家に至るまで悉く兵火に罹りたるも 唯一の神鏡遣りした後に村民相談し再び祠を建て漸く旧観に復す事を 得たり。その時より女体権現と改称せり。 明治二年胸形神社と改称す。 境内地一〇七六坪は明治初年上地して国有に帰し昭和二年神社制度変革に伴い同二三年三月大蔵省に譲与の申請を成し昭和二四年七月二九日て譲与の許可書を交付された。
|
|