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| 志波姫神社[志波姫八樟新田](しわひめじんじゃ[しわひめやつくぬぎしんでん]) |
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| <志波姫神社 由緒>(由緒板) 志波姫神社は、木花門耶姫命を祀る式神明帳栗原七の内の大社にして、人皇第四十五代聖武天皇の神亀天平年間の創建といわれ、延暦年間(七九六~八〇一)に坂上田村麻呂東征の際、武運長久を五穀豊饒を祈願したと伝えられる。 社はもと伊豆野権現社と摘し、築館の町玄に鎮座されていたが、正保年中に初の災に罹り、社殿のすべてが烏有に帰し、其の後再建されることなく伊豆大権現の石を祀るのみであった。 寛永十六年(一六三九) 伊達第二代藩主忠宗公は、家巨古内重に伊豆野原の野谷地を賜り、その開拓を命ぜられた。 伊豆野原を拝領した古内主は伊達藩の土木技術者であった川村孫街元吉に伊豆野原開拓工事の設計を依頼、正保元年(一六四〇) 工事に着手、三年の難工事の末、伊豆野の完成をみた。 伊豆野堰開削によって、伊豆野原開拓に成功した領主古内主膳は、明暦二年(一六五八)に至って社殿を造営し、水下十五ヶ村の守護神として此の地に座した。 明治二十二年四月、市町村制の施行により、姫郷村、白幡村、梅崎村の三ヶ村を合併し、この由緒ある社名を唱えて志波姫村とした、町名ゆかりの神社である。 平成四年十月二十七日、志波姫神社本殿(素木造、一間社流れ造り、目板葺)が江戸時代初期の建築様式を伝えるものとして、宮城県指定有形文化財に指定された。 〔志波姫町教育委員会/志波姫町文化財保護委員会〕
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