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| 唐橋中将光盛卿(からはしちゅうじょうみつもりきょう)
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| <由緒>(平成祭) 当神社のかたわらを流れる渓流「唐子川」の奥に、恐ろしい岸壁が聳え立つ高い山の上に、中将倉と呼ばれる処があり、そこは昔「唐橋中将光盛卿」が城を構えていた処であります。本社の義、或る日、村童等が社地を流れる渓流にて遊んでいると、川上より髑髏が一つ流れて来るのを見つけ、子供達は何気なく拾って水に浮かべて戯れている処に、たまたま此の村の老人が通り合わせて、之を見るや、子供達に向かって「不浄なり」と諭し、その髑髏を捨てさせて、各家に帰らせた。然るにその老人はその処を去らずにいると、見る間に気が狂い大声で何事かを語り出した。曰く、「予は唐橋中将光盛なり。今此の辺りにて童子を相手に楽しく嬉戯しているにも拘わらず、汝来りて、予に向かって侮辱を加え遊びを妨げた。若し、予の髑髏を崇めまつらわば、汝の乱心を止め、萬民に幸福を与え、永く守護する。」と宣うた。それを村人が聞きて、大いに恐怖敬心を発し、深く老人の無礼を謝し、神託の随々に現今の社地に神殿を造営し、その髑髏を祀ったのが今の頭之宮であります。以来、霊験あらたかなる事たびたびあり、特に首より上部に当り之を祈るに、不思議にも神助の顕著なるにより、誰れ云うとなく、頭之守護神として尊崇なし、その広大無辺なる神祐を称嘆讃美するに至りました。最も鎮座の始めは建久2年(1191)に頭部之宮と唱えしが、後、宝永5年(1708)に再び神託により、四方神社と称し、霜月(11月)16日を以って例祭とし、頭之宮四方神社として現今に至っております。四方とは、東西南北の四つの方向を指し、四方八方まで隈なく御神徳が広がることを意味します。又、神社脇を流れる渓流を「唐子川」と呼ぶが、由緒の通り、御祭神の唐橋の「唐」と子供達の「子」から名付けられたと云います。
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| [2014年] 5万人 [2013年] 5万人 [2012年] 3万5000人 [2011年] 3万5000人
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