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|  社殿(2011/09/29) |
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| 八衢比売神(やちまたひめのかみ) 八衢比古神(やちまたひこのかみ) 久那斗神(くなとのかみ) 大物主神(おおものぬしのかみ) 火産霊神(ほむすびのかみ) 菅原道真(すがはらのみちざね) 水神(みずがみ) 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
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| <由緒>(平成祭) 当社の創祀年代は不詳であるが、河崎町村田家所蔵の古文書に「河崎氏神之事、一、神は八王子祭れる也、則河崎地名惣社とす、郷中一統の生産神也、元は荒地に小祠有候記留候事、慶長4年己亥12月」とあることから、慶長4年(1599)以前であることは間違いない。また、この村田氏は当地の旧家で、宝徳3年(1451)に初めて此の地に来住したと伝えられているが、この村田氏は当社と密接な関係にあったことも知られているので、宝徳3年以後、村田氏によって創祭されたのではないかと言われている。また、明治12年の神社明細帳に、「河崎の地は古く勢伊太河の崎に建置せし村邑なる故の名なり。其の邑の産神として奉祀する社なるを以て河崎社と称す。後に八王子を合祀して、八王子とも唱へしなり。河崎は一ツに河邊の里と云ふの説に依て、780年来、河邊社と称せしを、明治4年6月より河邊七種社と称す。鎮祭始の年月は不詳。」とあり、河崎社から河邊七種社の社名の変遷が知られる。明治23年9月、境内社の菅原社(菅公)、秋葉社(火産靈神)を合祀し、同41年11月、字八ツ町鎮座の廣峰社(須佐之男神)、同境内社の菅原社(菅公)、字出屋敷鎮座の水神社(水神)、字南側鎮座の稲荷社(宇迦之御魂神)、同境内社の菅原社(菅公)、幸神社(八衢比古神・八衢比売神・久那斗神)、宇南町鎮座の猿田社(同上)、宇畑町鎮座の猿田社(同上)、字北側鎮座の稲荷社(宇迦之御魂神)、字南町鎮座の秋葉社(火産靈神)、同境内社の菅原社(菅公)、金刀比羅社(大物主神)を合祀し、今日に至る。当社の社殿は神宮式年遷宮後、御古材の御下附を得て、御造営するのが古例となっている。現在のものは、外宮御正殿御古材の一部御下賜を得て造営、昭和50年11月遷座祭を斎行したものである。
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