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| <由緒>(平成祭) 青森県西津軽郡車力村屏風山内、通称日本海七里長浜に鎮座、明治に致るまで三五郎稲荷さまと称せられ、青森県下第一等の稲荷神社として、県内は勿論のこと、北は北海道一円から南は岩手県、山形県、宮城県、関東地方に亘り崇敬者数10万を数え極めて霊験あらたかな神社として往古より信仰されて参りました。この間、口伝に伝えられる伝説の1、2を紹介しその往古を偲びたいと思います。伝説(1)元禄年中赤穂藩没落の際浪士寺坂某、該城鎮守神たりし、稲荷大神の御霊代を奉戴し、東西南北に流浪して弘前城下に寓し、後鰺ヶ沢に致り醸造業を創めて赤穂屋と号し、家業益々隆盛に赴きしが、爾後其の子孫思う所ありて渡島国に移住するに当たり、神告を蒙り当所高山の霊地を卜定して鎮座せしと云う。伝説(2)此の神祠は安倍貞任の創立なりと、思うに安東の一族なるべし、貞任当時外ヶ浜及び西海に其の部族を配置し、互に連絡を図り気脈を通じしきりに当所を往来せしが、西海岸もとより道路なかりしを以て山坂を往登し、原野を跋渉し往復必ず横断せしが、此の地、北は一葦海峡を隔てて渡島あり、又十三城及西の関なる別流安倍氏に備うる為最重要地点たりし為、平素奉持稲荷大神を此の地に奉斎して武運長久、一城の安泰を祈願せしと云う。
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