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| 抑当社御神木楠は昔時日本武命東夷征伐の御時、相模の國に御進向上の國に到り給はんと、御船に召されたる海中にて暴風しきりに起り来て、御船危ふかしりて御后橘姫命、海神の心を知りて、御身を海底に沈め給ひしかば忽、海上おだやかに成りぬれ共、御船を着くべき方も見えざれば尊甚だ愁わせ給ひしに不思儀にも西の方に一つの嶋、忽然と現到る。御船をば浮洲に着けさせ、嶋にあがらせ給ひて、あ~吾妻戀しと宣ひしに、俄に東風吹来りて橘姫命の御召物、海上に浮び、磯辺にただ寄らせ給ひしかば、尊、大きに喜ばせ給ひ、橘姫命の御召物を則此浮洲に納め、築山をきづき瑞離を結び御廟となし此時浮洲吾嬬大権現と崇め給ふ。海上船中の守護神たり。尊神ここに食し給ひし楠の御箸を以て、末代天下太平ならんには此箸二本ともに栄ふべしと宣ひて、御手自ら御廟の東の方にささせ給ひしに、此御箸忽ち根枝を生じし処、葉茂り相生の男木女木となれり。神代より今に至りて梢えの色変わらぬ萬代おさめし事、宛然神業なり。其後民家の人々疫にあたり死する者多かりしに、時の宮僧此御神木の葉を与えしに、病苦を払ひ平癒せしより、諸人挙って尊び敬ひぬ。今こそ此御神木楠の葉を以って護符となして裁服するに、如何なる難病にても奇瑞現れぬと云ふ事なし。凡二千有余年の星霜おし移ると云へ共、神徳の変らざる事を伝ふべし。共猶諸人の助けとならんと、略してしるす也。(案内板より) |
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