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| (2011/04/20) |
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| 船江神社の草創は、今より千百二十余年の昔、平安期陽成天皇の御宇元慶丁酉年(877年)御祭神は天照皇大神を奉祀す。 その御由緒を記すれば、往古本所の郷人あまた夢にみるよう伊勢大神宮、虚空を駆りて飛来り給ひ、虚空のあひだには又、大光明輝き光り、そのうちに気高く微妙なる御声ありて、 我此土安隠天人常充満という法華経寿量品の文を唱へ、われはこれ、伊勢の神明にておはします、と見て郷中の人互いに語り合わするにすこしも違わず、誠に奇特の御事也とて宮所をかまへ伊勢大神宮を勧請し奉りけり。神明なお佛法を尊み給ひ、本地和光の内證を示し給ふもの也。 それより北のかた星霜うつり年月かさぬと雖も、古にし昔のあと絶えず、利生あらたかに在わしますこと掌をさすが如くなり。 あまてらす神のめぐみのかはらねば ここも五十鈴の本所なりけり 船江神社は、初め朝日神明社と称し本所表町(現東駒形二丁目)に在り、本所大神宮とて、お伊勢参りが一生の念願たりしその昔、このお社に参拝することにて同じ神徳を授けられると、厚い信仰を受け、後天祖神社と称え幕府船手奉行向井将監などの人々が船の安全を祈願したといわれる。 明治維新後神名改め、里俗に船江神社と称するを以て今は之を神名とせり。 関東大震災後の帝都復興計画の一環としての区画整理に伴い、昔は御大祭は五月二十一日なり。(案内板より) |
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