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| JR「両国」駅→徒歩(6分) 大江戸線「両国」駅→徒歩(15分) 都営大江戸線「森下」駅→徒歩(8分) 都営新宿線「森下」駅→徒歩(8分) |
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| 拝殿(2011/04/20) |
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| 市杵島比売命(いちきしまひめのみこと) 杉山和一検校(すぎやまわいちけんぎょう) 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 大国主命(おおくにぬしみこと)
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| 歳旦祭(1月1日) 春祭(3月中旬) 例祭(6月中旬) 秋祭(11月中旬)
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| <由緒>(案内板) 当社は神奈川県藤沢市の江ノ島にある江島神社の御分社であり、弁財天を御祭りしている。本社江ノ島を模して造られた岩やには宇賀神様(弁財天)、宗像三神の姫神の石像が祀られている。もとはインドの川の女神で音楽や滑らかな弁舌、知恵や学問の神として崇められた。日本に渡り、宇賀神、宗像三神とも複合して、日本独特の弁財天が産まれた。 (説明資料より)
<江戸の町> 鍼術の神様・杉山和一(一六一〇~一六九四)が五代将軍綱吉から、ここ本所一ツ目に約一万二千平方メートルの土地を拝領し総録屋敷を建て、その西隣に弁財天の一社を建立したのが、江島杉山神社の始まりです。神奈川県藤沢市の江ノ島弁財天と、杉山和一総検校が祀られています。 和一は、現在の三重県津市の出身で幼いころに失明しましたが、江戸に出て鍼術を学び、江ノ島弁天の岩屋にこもり鍼術の一つである管鍼術を授かりました。その後、京都でも鍼術を学び、再び江戸に戻り鍼の名人として活躍しました。この和一の名声を聞いた綱吉は、和一を「扶持検校」として召し抱え、日夜自分の治療に当たらせました。(案内板より)
<杉山和一と総禄屋敷跡> ここは江戸時代、関東周辺の琵琶法師や鍼灸師、按摩などの盲人を統括していた総禄屋敷の跡です。 杉山和一は慶長十年(一六一〇)、伊勢国安濃津(三重県津市)で生まれました。幼時に失明、はじめ江戸の山瀬検校に鍼灸を師事しましたが、後に京都の鍼師入江豊明に弟子入りしました。 厳しい修業の後、江ノ島の岩窟で断食祈願を行いました。その満願の明け方、霊夢を通して新しい針管術を考案しました。杉山流管鍼術は、鍼を管に入れ、的確にツボを押さえるという画期的なものでした。 その後の和一の名声は日増しに高まり、寛文十年(一六七〇)、検校に任じられました。 さらに五代将軍綱吉の治療の功で褒美を尋ねられ、和一は目を請いました。綱吉は一ツ目(本所一之橋際の土地)と関東総禄検校職を与えたと伝えられています。時に元禄六年(一六九三)六月のことでした。 一町四方の土地に総禄屋敷と神社が建てられ、現在の場所には鍼治講習所もありました。現在の神社の名は、土地の拝領者と厚い信仰をささげた江ノ島弁財天を意味します。社殿の南側には江ノ島の岩窟を模した洞窟があります。 |
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