| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| <由緒>(平成祭) 当神社は、新編武蔵風土記(1830)に現われております。この書によりますと、鎮座の年代は不詳とされていますが、土地の古老の間では永正4年(西紀1507)と言い伝えられております。当時は、「伊勢の宮」と称しておりましたが、明治の中頃、民社において「宮」の称号の使用が禁じられたましたので、天照大御神の「天」と、氏神様(先祖神)の「祖」を合わせて「天祖神社」としたとのことです。区内に3社、都内には、38社の天祖神社がございます。明治の始めの頃、このような話が伝えられています。字神の1つ本村のお稲荷さまを、この「伊勢の宮」にお移しするために、御社殿を移築し、御神体を無事お納めしました翌日の朝のことです。白髪の老翁が、お伴をした人達の家々を訪問して「おのれは“おの”がほえだえていれなんだぞ(私は犬がほえたので入れなかったぞ)」と言って廻られた。お伴した人達全員が聞いたことがわかって驚いて調べて見ると、伊勢の宮の鳥居を入って階段の右の所に三峯社(御使神はお犬様で現在も同じ所に鎮座しております)があることがわかって大さわぎ、又元の本村にいそいででお宮をお作りしてお祭りしたということです。このお稲荷様は、石臼稲荷と称し、現在も毎年10月2日に例祭をとり行なっております。尚、昭和51年には、社殿以下社務所に至るまでの御復興が完成いたし、経堂の総鎮守として堂々の風格のある御社頭となりました。 |
|