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| <由緒>(平成祭) 世にお稲荷様と申し上げている稲荷神社は倉稲魂神ヲお祭りしたもので、今から約1280年の昔、和銅4年の2月の初午の日に京都の伏見に稲荷神社が鎮座したのが始まりです。この神は「稲がなる」イナリの別名が示すように五穀の成育や全ての産業を育成する広大な御神徳のある神ですから、あらゆる人々の信仰をうけ、全国各地の神社や邸内にも祭られています。当池尻稲荷神社は今から340年前の明暦年間(江戸時代の初期)に旧池尻村、池沢村の両村の産土神として創建鎮座になったもので、それより村の共同生活と信仰の中心として現在に至りました。俗信仰としては古くから「火伏せの稲荷」「子育ての稲荷」として霊験あらたかと伝えられており、又、江戸時代の随筆集にも池尻村の産土神は特に氏子の加護を旨とする奇談が記載されています。当時は大山街道(今の旧道)のほとり常光院の一隅に勧請されたもので、村民の信仰は勿論のこと、当時矢倉沢往還(今の二子玉川方面道路)と津久井往来(今の上町方面バス道路)の2つの街道からの人々が角屋、田中屋、信楽屋の3軒の茶屋(上通り、日産生命を経て大橋への坂で、当時は大変な急坂、農民泣かせといわれた)を下った道筋で道中の無事を願い、感謝する人々の信仰が篤く、現今も遠方の崇敬者が多いのは当時からの御神徳のあらわれであります。なお、境内にある井戸水は京都伏見の薬力明神の託宣による霊水としてしられております。 |
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