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| 京成「市川真間」駅→徒歩(11分) JR「市川」駅→徒歩(14分) |
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| 本堂(2012/04/12) |
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| <手児奈霊堂>(案内板) 奈良時代のはじめ、山部赤人が下総国府を訪れたおり、手児奈[てこな]の伝承を聞いて、 「われも見つ人にも告げむ葛飾の真間の手児名(奈)が奥津城処[おくつきところ] 」 と詠ったものが万葉集に収録されている。 手児奈霊堂は、この奥津城処(墓所)と伝えられる地に建てられ、文亀(ぶんき)元年(一五〇一)には弘法寺[ぐほうじ]の七世日与上人が手児奈の霊を祀る霊堂として世に広めたという。 手児奈の物語は、美人ゆえ多くの男性から求婚され、しかも自分のために人々の争うのを見て、人の心を騒がせてはならぬと、真間の入江に身を沈めたとか、継母に仕え真間の井の水を汲んでは孝養を尽したとか、手児奈は国造[くにのみやつこ]の娘で、その美貌を請われ、或る国の国造の息子に嫁したが、親同士の不和から海に流され、漂着したところが生まれ故郷の真間の浦の海辺であったとか、さらには神に司える巫女[みこ]であったりする等、いろいろと形を変えて伝えられている。 万葉の時代から今日に至るまで、多くの作品にとりあげられた真間の地は、市川市における文学のふる里であるともいえる。 〔昭和五十八年三月 市川市教育委員会〕 |
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