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| 文明年間足利九代将軍義尚公により創祀されたと伝えられ忍が岡と向が岡の境に鎮座するところから境稲荷と称され両村の総鎮守であった。 寛延3年隣地岡上の松平邸より出火した火災により社殿をはじめ義尚公自筆の扁額や重宝古記録とも焼失したが別当慈海によって再建された。 現参道口鳥居の扁額はこの時拝殿に奉納された半井大和守筆の額字を写したものである。 古歌「忍ぶ丘向ふる岡の境なる神のやしろは松の下谷」 その後明治二十八年湯島切通坂鎮座の宝剣稲荷を合祀している。 昭和二十年三月戦禍を受け現在の本殿拝殿鳥居並に社務所は平成五年の造営である。 境内本殿裏の井戸はその昔の当社別当原泉山三光寺の名称からも非常に古くからの湧水であることが知られ江戸の地誌にも「弁慶鏡ヶ井」と在り名水をもって知られている。(案内板より) |
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