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| 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(2011/06/19) |
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| <金沢城の歴史>(案内板) 中世末期に一向一揆の拠点として金沢御堂がこの地に置かれ、天正8年(1580年)に佐久間盛政が入城し、金沢城の造営が始まりました。 その後、天正11年(1583年)前田利家が入城し、本格的な近世城郭へと姿を整えていきました。文禄元年(1592年)の石垣普請、元和7年(1621年)の本丸の拡張などを経て、寛永の大火後(1631年以後)現在の金沢城に近い姿になりました。 左の絵図は江戸初期、右の絵図は宝暦大火後(1759年以後)の姿を描いたものです。江戸初期の絵図には、石川門の構造が現状と異なり、二の丸が狭く、三の丸や新丸などに家臣の屋敷があるなど、江戸後期の絵図と異なるところが多く見られます。 現在天守閣はありませんが、慶長7年(1602年)の落雷によって焼失するまで本丸に聳えていました。焼失後、天守閣の代わりに三階櫓が建てられ、宝暦9年(1759年)の火災まで城のシンボルとなっていました。二の丸には寛永の大火後、二の丸御殿が造られ、藩主の御殿および藩庁としての藩政の中心にありました。三の丸には鉄砲所、新丸には作事所・細工所などの施設がありました。 明治4年(1871年)廃藩置県で明治政府のの所轄となって旧陸軍の拠点となり、昭和24年(1949年)からは金沢大学のキャンパスになりました。その後、大学の移転により平成8年(1996年)に石川県が取得し、金沢城公園として整備を実施しています。
<金沢城公園>(掲示板) 金沢城は、加賀一向一揆の本拠地、金沢御堂としての時代や佐久間盛政の居城した時代を経て、天正11年(1583)の前田利家入場後は、加賀藩主前田家の居城として本格的に建造が行われた。天守閣は慶長七年(1602)の落雷による消失後は再建されなかったが、櫓(やぐら)の数は多いときでは二十棟を数えたといわれ、鉛瓦や海鼠塀(なまこべい)が貼られた石川門や三十間長屋など、金沢城独自の威容を誇ったと伝えられている。明治期には兵部省、昭和期には金沢大学が置かれ、現在は金沢城公園として整備されている。
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| | | [1/7] 石川橋 [2011/06/19]
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| | | | [1/13] 石川門 [2011/06/19]
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| | | [1/2] 案内所 [2011/06/19]
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| | | | [1/2] 鶴の丸広場 [2011/06/19]
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| | | [1/10] 河北門 [2011/06/19]
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| | | | [1/7] 河北門(中) [2011/06/19]
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| | | [1/3] 橋爪門 [2011/06/19]
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| | | | [1/2] 四十間長屋跡 [2011/06/19]
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| | | [1/2] 金沢城・兼六園事務所 [2011/06/19]
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| | | | [1/3] 切手門 [2011/06/19]
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| | | [1/3] 旧第六旅団司令部 [2011/06/19]
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| | | | [1/3] 玉泉院丸跡 [2011/06/19]
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| | | [1/3] 二の丸案内所 [2011/06/19]
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| | | | [1/6] 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓 [2011/06/19]
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| | | [1/4] 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(中) [2011/06/19]
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| | | | [1/3] 三十間長屋 [2011/06/19]
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| | | [1/2] 三十間長屋(中) [2011/06/19]
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| | | | [1/3] 戌亥櫓跡 [2011/06/19]
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| | | [1/4] スダジイ [2011/06/19]
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| | | | [1/2] 石碑 [2011/06/19]
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| | | [1/3] 本丸 [2011/06/19]
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| | | | [1/7] 辰巳櫓跡 [2011/06/19]
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| | | [1/9] 丑寅櫓跡 [2011/06/19]
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| | | | [1/3] 鶴丸倉庫 [2011/06/19]
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| | | [1/2] 鶴の丸休憩所 [2011/06/19]
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| | | | [1/2] 内堀 [2011/06/19]
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