内々神社

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タイプ
神社
名前
内々神社(うつつじんじゃ)
所在地(住所)
愛知県春日井市内津町上町24
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公式サイト
https://www.ututujinja.com/
主祭神
建稲種命(たけいなだねのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀姫命(みやずひめのみこと)
御由緒
御縁起
御神徳
歴史等
<由緒>(平成祭)
「延喜式神明帳」(927)にその名の見える古い神社で(式内社という)、創建については日本武尊の東征と深い関係をもち、「妙見宮由緒書」(吉見幸和著・1702)によると、景行天皇四十一年尾張連祖、建稲種命をまつったのにはじまる。建稲種命は熱田神宮にもまつられているが内々神社より8、9年おそい創建となっている。いずれも国造りの始祖の神霊をまつったもので、そのご、各地にたの神社が勧請されしだいに氏子が減少していったという。内々神社は中世までは、この地域一帯の篠木荘33か村の総鎮守で祭には村ごとに毎年湯立神楽が奉納されたらしく、現在も内津村、堀内村、上大富村、下大富村(大留村)・神将村(神領村・)・討手村(・)の銘がある釜がのこっている。また、尾張、美濃両国の農民たちは、雨ごいの際には当社に祈願をかけており、この地域住民の精神生活の中心であった。ちなみにつぎのような雨ごい歌がのこっている。 ここが内津か 妙見さまか 竜が水吐く おもしろや西右に立つ雲 乾にや夕立 やがて降り来る 村雨が。前述の「妙見宮由緒木書」をつづけると、建稲種命は天香語山命の後裔、小豊命の子、宮簀姫のあにで、母は尾張大印岐女真敷き刀婢である。尾張連清稲の選述した「熱田縁起」によれば、日本武尊が東征の帰路、尾張にはいり篠城に到着して内津の坂をくだられる頃、副将軍建稲種命の従者久米八腹が、建稲種命が駿河の海に落ち水死された、と早馬をもって報告した。日本武尊はこれを聞き悲泣して、「うつつかな、うつつかな」といわれその霊をまつられたのが内津神社で、神社の有る町を内津というようになったという。なお、建稲種命の死因については、命が一日船をうかべておられると、羽うつくしく声おもしろい異鳥が海上に飛翔するをみて、これをとらえ日本武尊に献上しようと、おいまわすうちに突風がおこり乗船が転覆し溺死したと書かれている。むかしから武将の崇敬があつく、慶長2年(1597)には、豊臣秀吉が朝鮮出兵のおり、戦勝を祈願して社頭の大杉七本を伐採して帆柱とし、凱戦ご御礼に社殿を造営したという。また、慶長18年(1613)には美濃土岐郡妻木城主妻木伝入ならびに可児兼山城主森右近が、天正年中兵火にかけたところをわびて、妻木の城主は鐘楼をたて、妻木村のなかに妙見宮を勧請し、日々崇敬して神罰をまぬがれたとある。また、社宝として武士、信者から寄進された幾多の刀剣、鏡などがある。中世からは妙見宮といい、妙見尊王を本地とし、建稲種命を垂迹とした、いわゆる妙見信仰を中心として隆盛をきわめた。これと密接な関係にある神宮寺妙見寺は、密蔵院開山慈妙上人によって嘉暦年間(1326~29)に建立されている。ちなみに、「延喜式」に春日部郡内々神社、「尾張国神明帳」には正三位内々天神としるされている。祭神は建稲種命・日本武尊・宮簀姫命である。境内社には福神社(大国主神・事代主神)・三峯社(日本武尊)・天王社(素盞嗚命)・稲荷社(稲荷五柱神)・双殿社(迦具土之神・菅原道真・天照大御神・市寸岐島命・大山祇命・伊弉諾尊)がある。
メディア紹介
【1998/12/10】<書籍>
神社仏閣開運ガイド 東海版
・『すみれ塚』の前であなたにも俳人にヘンシンだ


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