| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| <由緒>(掲示板) 少彦名神を奉祀したのは、古文書が散逸したので、現在は詳かではないが非常に古い時代の事であると伝えられている。 この神は、医薬禁厭(医術、薬方、まじない)智慧の祖神として、その霊験はまことにあらたかな神である。 菅原道真公の奉祀は、公筑紫へ左遷される途上海上浪荒く暫くこの地に立寄って憩われた旧跡である所以を畏み、後四十年を経た天慶五年此処のその御神霊をお祀りしたと伝えられている。 菅公の御神徳は誠の権化であり、又学問文化の神として、人々を守護し導き給うのである。 当神社の御神徳を厚く蒙った人々は昔から多く、中でも大丸の業祖下村彦右衛門氏は大きな御加護を頂いて繁栄されたことは有名であり当神社に対する信仰は極めて篤く大丸天神と称せられる所以である。 境内に古より、癇鎮めの井する清冽なる水湧出する井戸があり霊水として広く知られているが、現在は四囲の状況に渦され枯渇の状態にある。 又大阪夏の陣における眞田幸村戦死の地と伝えられ石碑が建っている。 昭和二十年太平洋戦争の災渦をうけ一初の建物は鳥有に帰したが、大丸を始め奉賛者の寄進により同二十六年春復興され現在種々の祭典が執行されている。 |
|