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| JR学研都市線・おおさか東線「放出駅」(北口)→徒歩(4分) |
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| 夏祭宵宮(7月第3土曜日) 例大祭(10月第3土曜日から2日間)
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| <天然記念物 くす>(説明板) 鶴見区放出東 阿遲速雄神社 樹であるが四季を通じて枝葉な旺盛で風雪に耐え境内に荘厳の風を添えている幹囲 目通り十九尺二寸(約六メートル)樹髙約五十尺(約十六メートル)枝張約九十八尺(約三十メートル)より社頭の森を加え当方に於ける名樹である 大阪府教育委員会 大阪府古文化記念物保存 顕彰規程により昭和十八年 八月二十三日天然記念物指定 〔昭和二十七年三月 大阪府教育委員会〕
<お蔭灯籠>(説明版) この灯籠は、一八六八(慶応四)年に建立されたお蔭灯籠です。お蔭まいという伊勢神宮への参詣を記念して建立されました。 江戸時代に入ると、 一六五〇(慶安三)年からほぼ六〇年周期で、たくさんの人々が集団で伊勢神宮に参詣する、おまいりという現象がおきまし た。その間は仕事を放り出してしまうなど、 無頼なお祭り的性格が強かったようです。幕末の民衆運動である「ええじゃないか」と関連付けて考えられることもあります。 現在大阪市内に残るお蔭灯籠は、この阿遅速雄神社の境内に残る一基のみです。 おまいりを今に伝える貴重なものです。 〔大阪市教育委員会〕
<阿遲速雄社社号標石>(説明版) [指定の種別] 有形文化財 歴史資料 [指定年月日] 平成一七年一月七日 阿遅速雄神社(あちはやおじんじゃ)が、平安時代の『延喜式(えんぎしき)』という書物に登場する式内社(しきないしゃ)という格式のある神社のひとつ、阿遅速雄社(あちはやおしゃ)と考えられることを示した石碑です。 江戸時代中期の学者、並河誠所(なびかせいしょ)は、当時すでによくわからなくなっていた近畿地方の式内社の場所を研究し、式内社と考えられる神社に目印となる石碑を建てることを計画しました。一七三六年頃に、幕府の協力をえて、誠所の弟子が大阪周辺に二〇基の石碑を建てました。うち四基が大阪市内にあり、そのひとつがこの石碑です。 正面には「阿遅速雄社」の社号が、向かって右側には「放出村(はなてんむら)」と場所が刻まれています。台石には「管廣房(すがひろふさ)建 (たてる)」とあり、石碑を建てるための資金を出したと考えられる人物の名を記しています。 〔大阪市教育委員会〕
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