| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| <由緒>(平成祭) 徳島眉山天神社は菅原道真公を御奉祀申し上げ、藩主蜂須賀家政公阿波入国以来の聖地でありまして、県内はもちろん県外からも学問の神様、商売繁昌、また交通安全、家内安全の神様として信仰厚く、毎年7月25日に行われています天神まつりは、徳島の夏まつりの中心行事として盛大に執り行われ県民はもちろんその名を天下に知られております。道真公は、学者として名高い文章博士是善卿の子として承和12年(845)乙丑6月25日、京都菅原院でお生まれになりました。学者として、政治家として、大きな業績を残し、九州太宰府に嫡(言)居、なくなられるまで59年の波瀾に富んだ生涯をおくられました。後人その徳を敬慕して「管公」と称え、古くから文教の祖神として広く敬仰されて参りました。管公が4才の時「美しや紅の色なる梅の花、あこが顔にもつけたくぞある。」という和歌を詠まれ、11才の時に「月夜に梅花を見る」という漢詩を作られたのを見てもいかに学問に励まれたか推察できます。貞観19年には文章博士となり、当代に並びなき大教育家として尊敬せられました。仁和2年(887)正月、道真公は42才で 讃岐守に任命され、寛平2年(890)春再び都に帰り、次々に官位を栄進し、昌泰2年(895)春、五十五才で右大臣に任命されました。名門を誇り、家柄によりかかるところの左大臣藤原時平にとって、文章の力によって台頭してきた道真公は、宮廷勢力握るかに見えました。時平は醍醐天皇にざん言することにより、道真公は昌泰4年(901)正月25日、九州太宰府に左遷されました。 |
|
| |