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| 拝殿(2012/07/06) |
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| <由緒>(由緒碑) 当社は鏡天満宮と呼ばれ、延喜元年(九〇一年)諌言によって大宰府の権師に左遷配所され給いし菅公が、博多に上陸された第一歩の地に御休息の時、「海路の疲れにおやつれ給ひし御相顔を鏡に映して御覧になった」と伝えられる鏡をお祀りする神社です。 一説には、菅公の供奴をした者とその子孫が菅公を慕い、宅内に神として祀った神社をはじまりとして奴天神(やっこじんじゃ)とも呼ばれています。 当時、この辺りは博多の渡唐口といわれ遣唐使が多く行き交い大陸の文化がさきがけて我が国に上陸したところですが、現在の社殿の近くには唐から帰って伝教大師(天台宗の開祖最澄)の建立による明王山冷泉寺があったと伝えられています。また平安時代に入ると平清盛によって袖の湊が築かれ日宋貿易の玄関口として一層の繁栄をきわめ南部博多の礎となったところでもあります。しかし中世に入るとその富を求めて群雄が割拠し度々の戦渦に見舞われ、また近くは大東亜戦争によって壊滅的な打撃を博多の町は受けましたが、人々が鏡天満宮に寄せる信仰は深くその都度再建され、このたびの博多リバレイン建設に際しても、供に浄財を拠出し御縁も深きこの地に新たな社殿を建立するに至っております。
鏡にもなきつみとかは見えやらで やつれすがたのかすむ春かな |
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