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| 北総線「白井」駅→徒歩(29分) 北総線「西白井」駅→徒歩(29分) |
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| 愛宕神社の歴史 この辺りは環境が秀れ、早くから人々が住んでいたようである。例えば、隣接の調整池掘削にあたっては。縄文前期の黒浜式土器、諸磯式土器の出土遺物を見ている。 明治十二年編さんの神社明細帳によると、慶長元年(一五九六年)八月十五日村人が挙げてこの地に勧請し、野口村野村社としたという。いうまでもなく伊邪那岐(伊弉諾)・伊邪那美(伊弉冉)の二神の子である迦具土神(火産霊神)がここの祭神であって、本町内唯一の神でもある。 例祭日は、古くは旧暦9月24日をもって当てていた。陽暦の大正期を迎えては、隣村の旧所沢村鷲神社と同様に氏子相寄り、五穀豊穰の願いと感謝を新たに祈念するところとなり、11月15日とさだめられてた。次いで正月行事に歩射があるが、これも例年1月15日に氏子総てにかかわる催しとなっている。 鎮座当初の建物などはしられていないが、現本殿は、様式などからみて江戸最末期ごろに創建されたと知られる社建築で、所謂一問社流造である。しかもこの小さな旧村に似合わず、材料を吟味し加えて手法をよくするなど、飽くまでもこの社に託した当時氏子七戸の願う信仰の厚さと成就とを、殊更伺うことができるものであろう。このことは、その後も氏子を増し、信者を殖やし、社殿や境内整備など各所に護持の気風がみなぎっている。そして一地方を鎮守する数少ない神社としての歴史を育む意義があることを、いま素直に且つまことに尊く学ぶことができるといえるのではないであろうか。(案内板より) |
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