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| 春日神社[勢家町](かすがじんじゃ[せいけまち]) |
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| <由緒>(平成祭) 天平年中、市川某(豊後国分寺の開基石川氏なるか)が南都三笠山より勧請し奉ったとも、又清和天皇の御宇貞観2年3月国司藤原朝臣世数が勅を奉じて、奈良春日大社の四所大神を勧請したとも伝えられ、1千1・200年余の歴史を有する古社である。建久7年、大友能直が当国に封ぜられてより、二十二代358年間居城府内の総廟として厚く崇敬し、特に二代親秀は、社領80貫を奉献する等歴代の守護職藩主等は、年々の祭祀料は申すまでもなく、しばしば社領を奉り又社殿の修復を行ってきた。因に大友親秀の奉献した社領菖蕪田忌垣田、相撲田は今尚小字名などとなって語り伝えられている。慶長12年、藩主竹中重利は江戸参勤の帰途、播磨灘に於て暴風雨のため危機にさらされたが遙かに春日宮に祈請して無事に帰還し得たので、境内に松10万本を植えて奉賽した。当時の広大なりし境域を偲ぶことができる。当社は創祀以来2度の戦災のために社殿はことごとく炎上し、又貴重なる社宝、記録等をも亡失した。第1回は天正12年、島津軍の府内入城の際であり、次は昭和20年7月、大東亜戦争の末期、アメリカ空軍の焼夷爆撃によるものである。現社殿は氏子崇敬者の浄財寄付金等を以って再建し、昭和42年10月18日、遷座祭を斎行した。尚、当社は旧県社であったが、昭和43年7月1日、別表神社に昇格した。
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