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| <由緒>(平成祭) 中山忠光朝臣命は、弘化2年4月13日従一位大勲位中山忠能の5男に生まれ、明治天皇の御生母中山一位局は姉君であり、従って忠光朝臣命は明治天皇の叔父にあたる。忠光朝臣命は忠誠の気節に富み、皇室の式徴を歎き式門の専横を憤ること一層鮮烈であった。文久3年8月天誅組の主将として大和義挙により明治維新偉業の端緒をつくられたが、幕府軍の為に敗走して下関に足を止め、勤皇の志士と交わり大いに活躍中、元治元年11月8日夜豊北町田耕字長瀬に於て 俗論党の凶手に倒れ悲惨な最期を遂げられた。凶徒は尊骸をその夜の内に約28キロ離れた、当神社松林までひそかに埋葬し、此を奇兵隊が探知して当初木の墓標を建てた。慶応元年11月豊浦藩は社殿を造営し英霊を祀ったのが当神社の創立である。その後忠光朝臣命の精神は多くの勤王の志士を奮い立たせ明治維新の大業は遂行されたのである。墳墓は社殿右側の丘に有り、記念館には遺品、遺墨が保存してある。また、境内には御祭神のひ孫にあたる満州国皇弟愛新覚羅溥傑夫人である浩命をお祭りしております。 |
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