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| <由緒>(平成祭) 神社が創めて建てられた年代については、記録には残っていないが里老の口碑によれば[社はもと北方18町(約2キロ余り)を距れて天見丘にありしを後白布を敷きて当所に迎え村名を向井と称す。その後社の近傍なる氏子の各村は、毒虫の至ることなく神霊の奇瑞なりと称し崇拝せり]とつたえています。布忍山東坊縁起には[人皇五十二代嵯峨天皇の勅願によって弘仁5年甲丑歳(815)弘法大師再建の伽藍、本堂薬師如来、金堂観自在尊五重塔、大日如来、鎭守牛頭天王を布忍七ケ村の産土と崇め奉る」とあります。永興寺の前身である布忍寺は平安時代の寛治3年(1089)に建立されその後南北朝時代の興国の時再建されて永興寺と改められてますが布忍寺の時代には東坊縁起に書かれているように鎭守として祀られていたと思われます。しかし明徳2年(1392)、兵火に会い焼失してその後建立されましたが今は神社のみ残り永興寺は跡地をのこすだけとなりました。現在の本殿は調査の結果江戸初期のものとみられ一間社流れ造りの建物です。
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