| |
| |
| |
| 近鉄「五十鈴川」駅→徒歩(21分) 伊勢自動車道「伊勢」IC→車(4分) |
|
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| 拝殿(2011/09/28) |
|
| |
| |
| |
| |
| |
| 春季例祭(4月4日から2日間) 秋季例祭(11月4日から2日間)
|
|
| <猿田彦神社>(掲示板) 猿田彦大神は天孫瓊々杵命(ににぎのみこと)をこの国にご案内された後、伊勢の地を中心に国土の開拓、経営に尽くされた地主神と伝えられています。 また大神の御裔の大田命は、皇女倭姫命が神宮ご鎮座の地を求めて巡歴された時に五十鈴川の川上の地を献り、伊勢の神宮が創建されました。当社はその直系の子孫が祖神を祀ってきた神社であります。 大神は全てのことに先駆け、人々を善い方に導き、世の中の行方を開く「みちひらき」の神として知られています。 その信仰は全国的な広がりを持ち、方位除、災除、地鎮、事業繁栄、交通安全、開運に御利益があります。 毎年5月5日に行われる御田祭(県、無形文化財)も古い伝統に基づいています。
<佐瑠女神社>(掲示板) 天孫、「ににぎの命」御一行を待ち迎えられた猿田彦大神と最初に言葉をかわされたのが御祭神です。 天孫御一行を日向の高千穂峯に導かれた後、本来の地に戻られる大神様とともに伊勢においでになり、「さるめ」という姓をいただかれました。 「あまてらす大御神」が天岩戸に籠もられて世の中が暗闇のようになったときに岩戸の前で舞踊をされて、元の明るさにもどる機会を作られた話は良く知られています。 そんなことから「芸能・鎮魂(たましづめ)・縁結びの祖神としてお祭りされてきました。また、元気で明るく、おおらかな女性の神様として、自立し誇りをもって生きようとする人々にとって大切な存在でもあります。
<由緒>(平成祭) 当社は玉串大内人たる宇治土公が、その祖先の猿田彦大神大田命を祀り、古くから広く崇敬されて来た神社である。創祭年代は不詳であるが、往古来宇治土公家は祖神まつりを行い、建久年間(1190~1199)までは、現在地に近い中村町興玉の森で祭られたと伝えられる。その後も神宮で大内人を勤めつつ、邸内の祭祀を続け、時代と共に一層増加する参詣衆のため、宇治土公定彦神主の代の延宝5年(1677)12月、現在地に祀られたと言う。慶応3年(1867)5月、社殿回禄の災に罹り、明治11年8月工を起こして本殿が竣工した。更に昭和11年、49年には造営本殿遷座祭が行なわれた。記紀をはじめ古典によると、猿田彦大神は上は高天原を光し、下は葦原中つ国を光し、天孫降臨を天八衢に待ちむかえ、日向の高千穂の觸之峰に導き奉った。続いて伊勢の狭長田五十鈴の川上に天宇受売命に送られて来られたと伝えられている。垂神天皇の御代、皇女倭姫命が、皇大神宮鎮祭の地を求めて巡歴されるにあたり、猿田彦大神の裔たる宇治の土公大田命は、祖神からの伝えにより、これを迎え、五十鈴川上の霊地を献じ、鎮祭に尽くされた。神宮の鎮祭と御遷宮奉仕に関連して、大神は地祭り、方除、建設の御神徳、また大は世の行手を示し、小は各人の道を開きたまう大神としてみちびきの御神徳高く、全国的に多くの崇敬者を有し、尊崇を集めている。 |
|
| |
| |
| |
| |
| |