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|  拝殿(2011/06/19) |
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| 菅原道真公(すがはらのみちざねこう) 白蛇竜神(はくじゃりゅうじん) 白阿紫稲荷大明神(はくあしいなりだいみょうじん) 琴平大神(ことひらのおおかみ) 前田斉広公(まえだなりながこう) 前田斉泰公(まえだなりやすこう)
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| <金澤神社由緒>(掲示板) 加賀百万石第十一代藩主治脩公が寛政六年(一七九四)に藩の学校明倫堂経武館の鎮守として。菅公の御舎利を祀つる天満宮を創建されたのが始まりで現在次の神々を祀ってある。
<由緒>(平成祭) 加賀藩十一代藩主前田治脩(はるなが)公が寛政6年(1794)兼六園の現在梅林の地に藩校明倫館を建てられ、その鎮守社として金沢城霊沢のほとりに、学問の神であり前田家の先祖でもある菅原道真公の御舎利を奉斉する神社を御創建になった。造営にあたってはときの重臣である奥村河内守・前田大炊・本多玄蕃助・大音主馬などが、御造営奉行佐藤勘兵衛、御作事奉行井上勘右エ門を指揮し、御大工頭清水次左エ門・清水多四郎、御大工の井上庄エ門・松田与助などが作業にあたった。その後、兼六園が整備されるにあたり、藩校は他の地に移転したが、神社は十二代藩主前田斉広公のときに建てられた竹沢御殿の鎮守として、災難除けの神・商売繁盛の神・交通安全の神をあわせまつり朝夕兼六園を散策された藩公が領内の平和と繁栄を祈願された。災難除けの神である白蛇竜神の御神体の一体は神社に一体は江戸屋敷にて奥方に代々奉斉されていたが、昭和21年神社に移された。毎年10月1日に白蛇竜神のお姿をうつした神札を百体のみ奉製し、藩公から藩士や城下の有力町民にあたえられたといい、市内の旧家に現存するものが多い。商売繁盛の神である白阿紫荷大明神は明治維新の後前田家が東京に移住する時その邸内に移されたが、旧藩士の懇願により再び神社にうつされた。神社への参拝は明治以前は、春秋の例祭にのみ、城下の婦子だけが参拝を許され藩公から紋菓をいただいたという。一般の人々が自由に神社に参拝できるようになったのは明治7年5月7日、兼六園が一般公開されてからである。現存では、年間を通じ学業成就・商売繁盛・災難除けなどのさまざまの祈願のために参拝する人が多い。
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