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| <八耳堂と軍茶利神社>(案内板) 八耳堂は、真言宗の寺・金軸山無院金蔵寺の仏堂で、太子堂とも呼ばれている。 本尊は、聖徳太子(厩戸皇子)を祀り、保元年間(一一五六~一一五八年)に建立されたといわれているが、現在の建物は、文政三年三月(一八二〇年)に再建したものである。 この奥手に軍荼利神社があり、鎌倉時代の建仁二年(一二〇二年)飯能地方の武士・大河原四郎の創建したと伝えている。 大河原氏は、この地方の殿屋敷と呼ばれる場所に居住し、当社の南方に位置する龍涯山砦を造って非常に備えると共に、金蔵寺とこの神社を厚く信仰したという。神社は天和二年(一六八二年)火災にあったが、のち再建された。 〔昭和五十五年三月 埼玉県〕
<由緒>(平成祭) 八耳堂と軍太利神社 八耳堂は真言宗の寺金輌山無量院金蔵寺の仏堂で太子堂とも呼ばれている。本尊は聖徳太子(厩戸皇子)を祀り保元年間(1156-1158)に建立されたと言われているが、現在の建物は文政三年(1802)3月に再建したものである。この奥手に軍太利神社があり、鎌倉時代の建仁2年(1202)、飯能地方の武士大河原四郎が創建したと伝えている。大河原氏はこの地方の殿屋敷と呼ばれる場所に居住し、当社の南方に位置する龍涯山に砦を造って非常時に備えると共に金蔵寺とこの神社を厚く信仰したという。神社は天和2年(1682)火災にあったが後に再建された。昭和55年3月埼玉県。
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