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| JR東日本「八王子」駅→徒歩(10分) 京王電鉄「八王子」駅→徒歩(10分) |
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| 誉田別尊(ほんだわけのみこと)<八幡神社> 素盞嗚尊(すさのおのみこと)<八雲神社>
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| 節分祭(2月3日) 横山神社例祭(5月4日) 八雲神社例大祭(7月23日) 八幡神社例大祭(9月15日)
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| <八幡神社の創立>(掲示板) 八幡神社は、延長二年 武蔵守隆泰が国司の時、此の地へ、石清水八幡宮をまつり、国土安全を祈願したのが当社の起源であります。天慶三年(九四〇)、隆泰の長子、小野義孝は、武蔵権之守に任じられて当地に来り、父の遺志を継いで、八幡宮を再建し、任期が満ちたので、此地に永住する事になったのであります。そして、先ず小野氏を横山氏と改め、追々当地を開拓して、遂に一村落を形造り横山村と呼びました。之が当八王子の始まりであります。隆泰は八幡宮を中心に祭政一致を行いました。此人が武蔵七党の一つである横山党の始祖で横山義孝と申す方であります。八幡神社は、実に、八王子草創の神で、当時は横山之庄(八王子を中心に方数里)の総鎭守でありました。又、境内にある横山神社は、開祖横山義孝公をまつった社で、その創立は、健保県巻(一二一三~一二一八)であります。
<八雲神社の創立>(掲示板) 八雲神社は、俗に天王様と申し、延喜十六年(九一六)大伴妙行が、深沢山(元八王子城山の古い名称)の頂上に奉斎し、天正年間、北条氏照が此山に城を築いてから、氏神として崇敬しました。天正十八年(一五九〇)六月落城の時、城兵は、天王の神体を奉戴し、川口村黒沢の地に密かに逃れ、北条残党の氏神として崇敬していました。慶長三年(一五九八)六月、大洪水のため、神体は流失し、遂に八王子新町の北なる、板谷ヶ淵に漂着し、暗夜に御光を放ち、現れた神体を、六月十三日未明、新町百姓五兵衛という者が之を発見し、自宅土間の臼上に移し、初穂の小麦を煎って供物とし、朝夕礼拝している内、或夜、夢の中に、不思議な神勅を受け、宿長、長田作左衛門の助力を乞い、八幡の社内に遷座しました。それから承認応二年(一六五三)に至り、八幡宮と棟を並べ社殿を建て、世に両社と尊崇され、長く当地の氏神となったのであります。
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