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| 地下鉄谷町線「谷町九丁目」駅→徒歩(4分) 近鉄大阪線「大阪上本町」駅→徒歩(11分) |
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| 拝殿(2011/09/26) |
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| 生島大神(いくしまのおおかみ) 足島大神(たるしまのおかみ)
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| <御由緒>(難波大社 生國魂神社略誌) 社伝によれば、神武天皇が九州より難波津にお着きになった際、現在の大阪城付近(のちの石山碕)に、生島大神・足島大神を祀られたのが当社の創祀と伝えられています。そののち、相殿神として大物主大神をお祀りされています。 当社についての初見は、『日本書紀」孝徳天皇(七世紀中頃)に「生國魂社」と記されており、平安時代の『延喜式』には、「難灘蜜瞬騰麟魂神社」二座と記され、御祭神は特別に生島巫によって祀られるなど、国家の祭祀(八十島祭)の社として知られています。 中世では当社に隣接して「石山本願寺」が建てられ、そして天正十一年(一五八三)に豊臣秀吉公が大阪城築城のため、社領を寄進し社殿を造営し、同十三年(一五八五)に現在の鎮座地に遷されたと伝えられています。 そ肋麹糖豊臣・徳川と時代の変遷はありましたが、両家の保護のもとに神域は守られ、以来「難波大社」の尊称をもって広く朝野の信仰を集め、明治には官幣大社に列せられるなど、国土の守護神・大阪の総鎮守として人々に崇敬されています。
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