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| 拝殿(2012/10/14) |
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| <東大島神社由来>(由来板) 当社は天照皇大神、牛島大神、稲荷大神を奉斎し、永平神社、子安神社、小名木神社、南本所牛島神社、北本所牛島神社の五社を合祀し、大島町東部総鎮守なるをもって社名を東大島神社と定め、昭和二十四年(一九四九)十一月十五日に創立せる。 合併の五社は各々古き由緒をもち、五穀豊穣郷土安泰の産土神として氏子の深く崇敬せるところなりしが、昭和二十年(一九四五)三月九日夜半の戦禍をうけ社殿その他尽く烏有に帰す同時に氏子地域の一切も亦灰燼と化し一望の廃墟となる。この無惨なる焼土の中に、住民復興の意欲を燃やしその努力は年と共に実り昭和二十三年(一九四八)に至り、大島青年会の発議により尚一層の繁栄と発展を祈念し、復興祭が催されこれが機縁となり、神社再建の声おこる。しかし五社それぞれの再建は容易ならずこれを合併し荘厳なる神社の建設を望む氏子有志の熱意により各社の総代、世話人は数次の会合を重ね、牛島神社宮司春田健一氏並に猿江神社宮司神保鑒一氏の協力を得て地元発展のため無条件合併す。翌昭和二十四年(一九四九)初春建設奉賛会設立され同昭和二十四年(一九四九)十一月新たに境内地六百八坪餘を購入昭和二十七年(一九五二)社殿を造営、昭和三十一年(一九五六)社務所竣工等着々整備され同昭和三十一年(一九五六)四月宮司内海利彦氏就任せる。 ここに創立十周年を迎え、合併の五社の所在地をしるし、創立尽せし人々の名を刻み当社の由来と共に長く後世に伝う。 無各社 永平神社 江東区大島町七丁目二百十九番地 無各社 子安神社 江東区大島町八丁目三百十七番地 無各社 小名木神社 江東区大島町八丁目百二十一番地 無各社 南本所牛島神社 江東区大島町七丁目八百四十三番地 無各社 北本所牛島神社 江東区大島町七丁目四百六十番地 |
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