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| JR南武線「谷保」駅→徒歩(5分) 中央自動車道「国立府中IC」→車(6分) |
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| 石土毘古神(いわつちびこのかみ) 天之日鷲命(あめのひわしのみこと) 倉稻魂命(うがのみたまのみこと)
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| <谷保天満宮 (本殿・拝殿)>(説明板) 谷保天満宮は「醍醐天皇延喜三(九〇三)年二月、菅公筑紫に薨去された折、道武朝臣は思慕の情に堪えず、手づから父君の尊容を刻んで廟殿に鎮祀し、旦暮如在の礼を盡された。 延喜二十一(九二一)年十一月、道武朝臣が此地で逝去されるに及んで、神霊を相殿に配祀して三郎殿と称した」と伝えられている。(天満宮略縁記・谷保天満宮所蔵) 江戸時代には、朱印領十三石を寄せられ、明治十八(一八八五)年には「府社」となった。 谷保天満宮の主な社宝には、国指定重要文化財工芸品の木造扁額、建治元(一二七五)年藤原経朝筆の額「天満宮」があり、同じく国指定重要文化財 刻、鎌倉時代後期の作と見られる木造狛犬一対がある。社叢は、都指定文化財天然記念物の指定を受けている。 主な行事としては、一月一日の元旦祭を始めとして、一月の筆供養、九月秋分の日の例大祭、十一月三日の庭燎祭(おかがら火)等がある。 例大祭には、市無形(技芸)文化財指定の獅子舞が奉納される。 本殿は流造(ながれづくり)、六坪(約二〇平方メートル)で寛永年間(一六二四~一六四三)の造営と伝えられる。 この流造とは、今日の日本の神社本殿の大部分を占める形式である。桁行三間(五・四メートル)梁間二間(三・六メートル)の母屋の前に一間(一八メートル)通りの庇をつけたもので、庇は角柱で、土台上に床板が張られ、そこから階段を上って母屋床に達する。屋根は母屋の切妻造がのびて床に続き、長くゆるやかに流れるような曲線となる。流造の名は、ここから起ったのである。 中世以降の流造は、たいてい三間とも扉口にしている。谷保天満宮の本殿もこの形式をもったものである。 拝殿は、入母屋造二二坪(約七三平方メートル)で、江戸末期の造営とみられる。 谷保天満宮の境内は、梅林(香雪園)を含めて約六、三〇〇坪(約二〇、七九〇平方メートル)である。 甲州街道(国道二〇号線)から表参道を降ると本殿、拝殿等がある。 普通、神社は高台に鎮座しているものであるが、下へ降る神社は珍らしい。拝殿等が街道に背を向けているのは、かつて甲州街道が境内の南側を通っていたためである。 〔平成元年三月 国立市教育委員会〕 |
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