猿賀神社

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タイプ
神社
名前
猿賀神社(さるがじんじゃ)
所在地(住所)
青森県平川市猿賀字石林175
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公式サイト
http://saruka.webcrow.jp/
主祭神
上毛野君田道命(かみつけのきみたみちのみこと)
相殿
保食神(うけもちのかみ)
御由緒
御縁起
御神徳
歴史等
<由緒>(平成祭)
古典(日本書紀)によれば田道命は「仁徳天皇55年(西暦367)勅命を受けて北夷の反乱を平定のため東北地方に兵を進めたが、戦利あらず、伊寺の水門で戦死なさる。後に大蛇の姿となって暴夷を平定した」とある。又社伝によれば「56年蝦夷の毒手に敗死なされ、従者その屍を仮葬し、賊を捨て帰京す。蝦夷その墳墓をあばくに、たちまち遺体大蛇と化して毒気を吐発す。土人大いにおそれて鹿角郡猿賀野に祀って産土神となす。その後、200年の星霜を経て、欽明天皇28年(567)に大洪水あり。この時、田道命の神霊、白馬にまたがり漂木を船として流れにしたがい、当地に移遷し給う、当地住民神霊を迎え奉って古木(鍋木)の洞穴に祀る」と、云われている。桓武天皇の御代に再び暴夷を平定することになり、坂上田村麻呂将軍が兵を進め苦戦となった際、田道命の霊感を受けて大勝した。よって、将軍は延暦12年(793)8月23日現在の地に祠を祀り、その趣を天皇に奏上した処、勅命により大同2年(807)8月15日社殿を造営、奥州猿賀山深砂大権現として勧請し、神威天長、国家安穏、黎民豊楽、悪鬼退散を祈願した。以来猿賀の深砂宮(神蛇宮)と崇められ御神徳四辺に遍く、地方唯一の霊場と仰がれるに至った。かっては国司、探題、(藤原秀衡公、北畠顕家卿、安倍氏代々等)の崇敬篤く、藩政時代に入り藩主津軽為信公により、祈願所と定められ社殿の改修造営、また社領の寄進などしばしばであった。明治4年太政官政令にて権現号を廃して猿賀神社と改称し、明治6年郷社に列せられ、更に明治13年県社に昇格、戦後は社格が廃せられたが、昭和34年神社本庁別表神社に加列せられ今日に及んでいる。崇敬者は県内は勿論、北海道並に東北一円に及び眼の守護神とする特殊信仰並びに、辰年巳年生まれの一代守護神として広く崇敬されている。
メディア紹介
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