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| 新編武蔵風土記稿にも粕壁宿として掲載されている春日部八幡神社は、元弘年中(一三三一~一三三四)この地域の武将であった春日部氏により、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請した神社。 鳥居には「新方荘惣社」の額が掲げられ、春日部氏の領地であった新方領(にいがたりょう)の総鎮守であったことがわかる。 本殿後方の高地にある旧本殿は、萱葺き、柱間一.六メートルの流れ造りで、室町期の流れをくむ桃山時代のものと推定され、市内では最も古い建造物として春日部市指定文化財となっている。 参道入り口の左側には、嘉永六年(一八五三)に粕壁宿の名手関根孝照らが建立した在原業平の故事とこの八幡神社の由緒を伝える石碑がある。 また、参道中央の大イチョウには、元弘(一三三一~一三三四)年間に飛来したイチョウの枝が一夜のうちに成長し、参詣人を驚かせたという伝説がある。 この神社の境内につづく稲荷神社横には、通称「浅間山」と呼ばれる高さ八.二メートル、周囲二百メートルにも及ぶ、この辺りでは最も大きな富士塚がある。この富士塚は、江戸時代に隆盛を極めた富士講による富士信仰の対象として築かれたもので、弘化二年(一八四五)に行われた修復工事には、粕壁宿はもとより、幸手領、岩槻領からも大勢の信者が集まったと記録されている。毎年七月一日の初山には、市内各地より赤子を抱いた母親が、子育ての無事を祈ってこの冨士塚を訪れている。(案内板より) |
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