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| 本堂(2013/11/27) |
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| <医王寺由来>(由来板) 応永十四年七月七日時将軍足利義満公が、奇病(赤目病)が下総国一円に発生し住民が全滅の危機にさらされているのを聞きおよび、時の後小松天皇に悪病退散の祈願寺の建立を上奉し、京都仁和寺の僧観見和尚に薬師瑠璃光如来を奉持させ、柴 又村の当地に建立したものである 赤目病とは、両目が最初充血し、悪化するにつれ「目やに」が出てやがて瞳が白く濁り「下まぶた」が垂れ下がり赤くはれ上がり、最後には失明してしまう恐ろし い奇病で原因は不明であったと云う。当時の目の病に苦しむ村人たち、近郷近在よ り参詣に訪れたと聞く。此の奇病にかかった村人が昭和二十年頃を最後に、以後赤 目病患者は当地より消えたのである。 当山では、境内より湧き出る清水(現存しない)と護符と茶目薬を室町時代より昭和中期まで眼病祈祷札と共に出していたが、終戦後薬事法の定めにより今は出し ていない。だが現在でも眼病を護る仏として参詣に人々が訪れている。 <柴又七福神 恵比寿天 >(由緒板) 中興祖源珍僧都という御方が宗祖弘法大師の足跡を巡行中、村人より一体の恵比寿天を戴かれ、山中に安置し香華供物を供え21日間の御修行をすると、川底より砂金を掬い上げた。後に恵比寿天を礼拝すれば商人は金銭意の如く集まると唱え、多くの世人に広めた。当山代々住職は、その偉業を尊び伝承し今日に至らしめたものである。 〔葛飾区 葛飾区観光協会〕
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