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| 日比谷線「人形町」駅→徒歩(5分) 浅草線「人形町」駅→徒歩(5分) 東西線「茅場町」駅→徒歩(10分) 半蔵門線「水天宮前」駅→徒歩(10分) |
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| 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 福禄寿(ふくろくじゅ)
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| 大祭(5月28日) 萬福舟乗辨財天大祭(10月28日) どヴろく祭(11月28日)
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| <由緒> 伊勢神宮を本宗として、文政元年(1466年)今より約540年程前に産業繁栄と疫病鎮静の神とし鎮座された。初め小網山稲荷院万福寿寺を別当寺とした稲荷神社であった。その後昭和初期までは、小網稲荷神社と称し、江戸時代では、稲荷堀稲荷とも称されていた。 その昔大田道灌は、当社への崇敬、時折参拝し、社地を奉じ、社殿を造営したといわれる。社号も公の命名によると伝えられる。又、宮元、小網町の名は当社にちなんで名づけられたといわれる。 さて、戦時下では、当社の「強運厄除守」を奉載した者の多くが戦地より無事帰還したことから都内は勿論、各地より強運厄除けの授かりを受ける参拝者が多かった。現在も強運勝運の厄除けとして、自らの運を強め、豊かで明るい生活を求める参拝者で賑わう。 (武蔵国 古社 小網神社の概要)
<説明> 社伝によれば、当社は小網山万福寺を別当寺として、室町時代中期、当地に祀られた稲荷社に起源するという。稲荷社は、明治時代始めの神仏分離令により、小網神社と称し、東堀留川の河岸地の一画であった現在地を社地と定めた。そして現在、小網町及び人形町の一部の氏神として、また東京下町に広く信仰を集めている。 境内には、昭和四年(一九二九)の造営による社殿及び神楽殿が残っている。社殿は伝統的な神社建築の形式を備え、向拝には優れた技法による昇り龍・降り龍・獅子・ばく・鳳凰等の彫刻がほどこされている。また道路際に建つ神楽殿は、五角形という特殊な平面形態を持つ。この社殿及び神楽殿は、中央区に現存する数少ない木造の神社建築として、棟札等の造営に関係する資料とともに中央区民文化財に登録されている。 (平成三年四月 中央区教育委員会)
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