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| 拝殿(2013/01/17) |
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| 伊弉冉尊(いざなみのみこと) 速玉男命(はやたまおのみこと) 事解男命(ことさかのおのみこと) 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 家都御子神(けつみこのかみ) 日の神(ひのかみ) 竜宮神(りゅうぐうしん) 普天満女神(ふてんまめがみ) 天神(てんのかみ) 地神(ちのかみ) 海神(わたのかみ)
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| <御由緒>(案内板) 当宮は別称普天満権現ともいい、琉球八社の一つである。 創建については往昔、普天間の洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王の頃(一四五〇~六〇年)熊野権現を合祀したと伝えられている。 現存する古い記録には「普天満権現」碑(一五九〇年)がある。 琉球神道記(一六〇五年)琉球国由来記(一七一三年)琉球国旧記(一七三一年)にも当宮関係が記載されている。 前記の琉球神道記には當國大社七處アリ六處ハ倭ノ熊野権現ナリ一處ハ八幡大菩薩也」又「普天間権現の事」については「濫觴亦知ラス、熊野ノ飛龍ト見ユ東ニ當リテ瀑布アリ、其水霊也・・・・」と、祭神のことが記されている。 尚、普天間宮は熊野那智(飛龍)に末吉宮を熊野新宮に、識名宮を熊野本宮に見立てて信仰されていたようである。 さらに、近世沖縄における熊野三山いわゆる権現信仰は琉球八社の内の七社はもとより、その分社、あるいはビジュル・観音・霊石信仰とも習合しながら県内広域に伝播し、拝所としても数多くある。 当宮の縁起伝承には首里桃原に女神が出現され、後に普天間の洞窟に籠られた。 さらにその後、洞窟より仙人が現れ「我は熊野権現なり」と御神威弥高に示された。 又、中城間切谷屋村の百姓夫婦や美里間切東恩納村の「当ノ屋(屋号)」黄金(神徳)を授け苦難をすくったという伝承があり、「当ノ屋」ではそのお礼参りが続いている。 旧暦九月は普天間参詣と称され、かつては中山王はじめノロ、一般の人々が各地より参集し礼拝の誠を捧げた。 洞穴は、全長二八○メートルあり、洞穴の形成規模等からして地域の地形地史を知るうえでも貴重なものである。 洞穴及び東洞口付近は遺跡となっており沖縄貝塚時代前後半以後(約三千年前)の遺物が多数発掘されている。 又、約二万年前の琉球鹿、琉球昔キョン、イノシシなどの化石も発見され「普天間宮洞穴」は平成三年八月一日付で、宜野湾市文化財「名勝」に指定される。
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| [2014年] 11万人 [2013年] 11万人 [2012年] 11万人 [2011年] 11万人
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