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| JR「福山」駅(北口)→徒歩(10分) 山陽自動車道「福山SAスマート」IC→車(15分) 山陽自動車道「福山東」IC→車(20分) 山陽自動車道「福山西」IC→車(20分)
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| <由緒>(平成祭) 往古当地方を穴の海と称せし頃、後に福山城の城地となった島山に二つの八幡宮が奉祀されていたと伝えられ、その後、天文年中(1532-55)杉原播磨守が社殿を新たに造営し、毛利輝元、福島正則も崇敬した。元和5年(1619)水野勝成公が備後国主として赴任されるや、新しい居城として福山城を造営されることとなり、城地となる地に鎮座した二つの宮は野上口と延広小路へそれぞれ移されて奉斎された。第4代城主水野勝慶公により天和3年(1683)に今の地、松廼尾山に2社の八幡宮を遷座し、西御宮、東御宮として2社の社殿を東西に相並べ、本殿、拝殿、随神門、総門などそれぞれ全く同じ構造で建てられ、以後城中城下の守護神として崇敬されてきた。以前は西御宮を野上八幡神社、東御宮を延広八幡神社と称していたが、一般には両社八幡と親しまれてきた。昭和44年に至り両社の法人格を合併し、社名を福山八幡宮とし、神社本庁所属の別表神社として新しく発足した。現在地への両社社殿建立300年を記念して、昭和59年中央拝殿を建設し境内も整備した。
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