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| 上信電鉄「上州一ノ宮駅」→徒歩(15分) 上信越自動車道「富岡IC」→車(20分) 上信越自動車道「下仁田IC」→車(20分) |
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| <由緒>(平成祭) 上野国一宮、元国幣中社、一之宮貫前神社、群馬県富岡市一ノ宮鎮座。「一番はじめは一ノ宮」と古くからわらべ歌にうたわれている通り、一之宮貫前神社は上野国の一宮で、経津主神と姫大神を祀り、開運、治安、農耕、機織、縁結び、安産の神として県内はもとより、遠近の人々に信仰され親しまれている。神社は、鏑川の清流に臨み北に妙義、南に稲含、秩父の連山、西に神津荒船の連山を仰ぐ景勝の地にあり、小高い丘陵を登り、見上げるような丹塗の大鳥居をくぐり、北斜面の下り参道をおりて参詣するという全国でも珍らしい形態を持ち総漆塗極彩色の社殿が鬱蒼と繁った杜に囲まれ巧に配置散在する様は、恰も日光の東照宮を見るような華かなもので、小日光と呼ばれている。御祭神 経津主神、姫大神。経津主神は磐筒男、磐筒女二神の御子で、天孫瓊瓊杵尊がわが国においでになる前に天祖の命令で武甕槌命と共に出雲国(島根県)の大国主命と協議して、天孫のためにその国土を奉らしめた剛毅な神で、一名斎主命ともいい建国の祖神である。姫大神は祭神不詳で、恐らく綾女庄(一ノ宮地方の古称)の養蚕機織の守護神と考えられる。由緒 社伝によれば、碓氷郡東横野村鷺宮に物部姓磯部氏が奉斎、次で、南方鏑川沿岸に至り蓬ケ丘綾女谷に居を定めお祀りしたのが安閑天皇元年3月15日である、天武天皇白鳳2年3月15日初度の奉幣があり、清和天皇の貞観元年に宸筆の額を賜り、神位の昇る毎に書き改めて今に残っているものに正一位勲五等抜鉾神社とあり、即ち勅額で楽翁公の集古十種に記されている。醍醐天皇の御代、延喜の制には名神大社に列し、上野国一ノ宮として朝野の崇敬を衆め、武家時代に至って、武家、地方豪族が格別に崇拝して数々の献品をなし、奥方連中からも奉納品等があって女神様の信仰も篤かったことが知られる。明治4年国幣中社に列格、昭和21年、社格制度の廃止により一之宮貫前神社と称し現在に至る。この間御修理に御下賜金、皇族方の御寄進或は御親拝(昭和九)皇族方の御参拝等御神威彌彌高く農耕、殖産、開運の神として神徳四方に遍く一朝国家有事の際は賽者踵を接する。社殿と境内 現在の社殿は徳川三代将軍家光の命により改築したもので、寛永12年(約330年前)の造営である。元祿11年、五代将軍綱吉が大修理をした、江戸初期の総漆塗精巧華麗な建造物というだけでなく、その構造が、いわゆる貫前造と称する特異な点から重要文化財(旧国宝)に指定されている。拝殿、楼門及び東西両廻廊は同時代の建築である、実に徳川家の抱え大工が日光廟という世界的美術建造物を完成する道程の中にあるものといえる。境内は約26000坪、北斜面の森林で、本殿裏に樹令約1200年の杉の御神木があり、一名藤太杉とも云う、その昔、藤原秀郷(俵藤太秀郷)が戦勝祈願をこめて年令の数即ち36本を植えたと称するもので、現在はこの御神木一本だけが残っている。西の門内は式年遷宮祭の御仮殿敷地、東の門内は往時神仏習合時代の僧堂敷地で、観音堂跡、三重塔跡、鐘楼跡等がある、不明門内にある鳥居は勅額鳥居と称え昔は遥か南方正面田島字鳥居の地にあったと伝えている。宝物 総て400点余、鏡、武具をはじめとして、御神衣、古文書、神楽面等古来の崇敬信仰を語るに足る諸品を蔵している。鏡、百数十面、奈良、平安、鎌倉、室町、吉野、桃山、江戸の各時代を通じて大観し得るものとして金工美術上珍重されている、内重文に指定されているものは次の通り。白銅月宮鑑、唐鏡、約2000年位前の作。約360年程前文禄3年頃小幡竹千代の乳母奉納、梅雀文様銅鏡、約760年前、鎌倉時代、竹虎文様銅鏡、約500年前、室町時代。御神衣、60余領残存、元和9年以来遷宮毎に新調奉納。 |
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| 【1999/06/30】<書籍> 全国の開運神社案内 ・関東武者の心の拠り所。神々しい山々に囲まれた豪壮華麗な社殿
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| [2014年] 10万人 [2013年] 10万人 [2012年] 10万人 [2011年] 10万人
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